著者の慧眼に脱帽~身体の仕組み、構造と機能を理解する

「人間はもともと意識で思うように制御(コントロールできるようにはできていないのだ」ということであり、どのような状態を準備すれば、好ましい適切な自動制御能が発揮されるか」というところに、問題の鍵が潜んでいるのである。
(野ロ三千三 原初生命体としての人間より 著者の引用)

歳をとってゴルフがうまくいかなくなって数年、いろいろもがいている私にピタッとはまった言葉であった。私もこの本は持っている。愛読書といってよい本にこんなことが書いてあったかと著者の慧眼に脱帽である。

熱心にレッスンを受けているのにかえって悪くなっている!なぜ?という彼女の深刻な体験から始まりどんなことをすればよいかを体験に基づいて指導するようになった経緯を述べながら、歌うための必要な知識と考え方が述べられている。その中心になるのが身体の仕組み、構造と機能を理解することであるというユニークな本書ができあがった。

ここには彼女の音楽人生が詰まっている。芸大や東京の音大卒業のエリートでもない、有名音楽家への輝かしい道を歩いてきたのではないが、まっとうな道を歩んできたと私には思われる。

教師からの指導に抱いた疑問をそのままにせずいろいろもがき、留学先の先達から教えを受け、発声の疑問には耳鼻科医の理解ある人を探し、トマティスに巡り会い、ボディワークにめざめ、コナブルなど訪れて行き着いたところが解剤学であり生理学でありうまく歌える身体の使い方になった。

これらの経験、教えた生徒たちの反応は2冊目の実践編に紹介されている。医学的には症例報告ということになる。とても具体的な事例が並んで興味をそそられる。

そして3冊目は「歌う人のためのはじめての解剖学」である。解剤学は医学の基本の中の基本である。医学部で行われる解剖学実習は医師になるためのイーシエーションといわれる。しかし、長期にわたる実習で飽きてしまうものも多い。また、分子生物学が主流である現代医学では解剖学は死んだ学問として研究者には興味を向けない人も多い。私自身、外科医になって数年後、解部学を学び直した経験がある。スポーツ医学の世界で身体の仕組みに合わない使い方をするから障害が起こるのだと納得して研究してきた。その中で、体育の大学院生に解剖学を教える経験もした。3日間の集中解剖実習の学生たちの感激と集中ぶりは私にとって新鮮な驚きだった。こんなに解剖実習を必要としている人たちがいるのだ。身体の知識を得たいと思っている人たちがいるのだと。

アスリートや演奏家がここまで身体について知る必要はないとは思うが、知れば知るほど身体への興味は尽きない。構造と機能は解部学、生理学の書物を調べれば、答えは出る、書いてあるのである。しかし、理解して応用することはむつかしい。冒頭の野口のことばにあるように思うようにコントロールすることができないのが身体なのだ。声を出すという身体活動でも同じことが問題となる。身体の仕組みを知らなければならないが、知ればいいというものではない。第3巻となる「歌う人のためのはじめての解剖学』冒頭には以下のように注意書きがある。以下に要約を示す。

「声帯がどのように振動するのか、横隔膜はどのように動くのか、今では科学的にその様子を容易に画像で見ることができるようになってきました。しかしこれは個人的かつ結果であると言うことです。よく歌える人の声帯の動きや横隔膜らの動きを真似しても成果は期待できません。
(中路)
世の中には一見歌い方のハウツーや科学的と称する情報があるけれどそのまま練習すると身体全体の調和やそもそもつながっていた関係を壊しかねません。これらを信じてただ練習すれば良いのではありません。科学は手がかりになるけれど使い方を間違えてはいけない。科学が役に立つのは尊厳ある私たちの体そのものとの共同作業が成立する時なのです」

スポーツドクターはもちろん、言語聴覚士、理学療法士、作業療法上や柔道整復師、トレーナー、体育教師などなど身体の動きに関心ある人に3冊ともお勧めしたい。ソプラノ歌手が歌をうまく歌うために解剖学にいきついたのだ。身体の仕組みを理解して歌うことをスポーツに置き換えるとそうだよなという経験をされることだろう。不活動の生活習慣病に苦しむ人たちにもうまくからだを使う指導をぜひ試みてほしい。うまく教えられないと悩むとき、本書は力になるであろう。

書評者 渡會公治
(一般社団法人美立健康協会代表理事、帝京科学大学医学教育センター特任教授)