広島大学教育学部音楽科 同窓会誌2003 「尚音 第5号」より
理論と実技の間 ~ボディ・マップとは~
大学受験を声楽専攻ですることに決めた時、高校の先生から「教育学部に行くと声楽以外のことが多くてあまり歌の勉強ができないから、音大の方がいい」と言われた。
私は「歌えるだけではなくて、広く音楽について知りたいし、教えることにも興味があるから」と広大を選んだ。
実際大学生活はとても充実していて、中でもオペラ「ヘンゼルとグレーテル」の上演(私はヘンゼル役だった。
その暮れに日比先生主演の同名の二期会オペラを新宿文化センターに観に行った時、衣装が私たちのと同じだったのですごく驚いた。
私たちの上演はそれ程本格的だった。
早川先生・日比先生・矢田部先生をはじめ諸先生方のおかげで。主任の川原先生の予算獲得の手腕も大きい)、
オーケストラのポップスコンサートでの「サウンド・オブ・ミュージック」のマリア、
そして卒論でゲーテのミニヨンの歌を中心としたドイツ詩と音楽の分析・考察が、
その後の私の人生(と言っても過言ではないかな)に大きな影響を及ぼした。
当時の私には、ドイツ歌曲の詩の美しさや芸術性は不謹慎な?内容のオペラよりずっと魅力的だったから、
矢田部先生の研究室のレコードは先生より私の方が、どこに何があるかよく知っているくらいだった。
その時テープにダビングしたフィッシャーディスカウ、プライやエリー・アメリングのシューベルト、
シューマンやヴォルフの全集のカセットは、今でも持っている。後にドイツ・オランダで、彼らのコンサートに行ったり、
駅で見かけたり、マスターコースを受けたり、私と同じ時間と空間に憧れの偉大なる歌手たちがいることが、
なんとも不思議で飛び上がる程うれしかった。(今や、お二人は引退され、プライは亡くなってしまった。)
しかしその一方で、ドイツでの生活の中で音楽をする時、嫌というほど自分が日本人であることを思い知らされ、
文化の違いにも愕然とし、言葉や発声など悩みは尽きなかった。
卒論のあとがきに、「人間としての普遍性」だとか「一人の人間として、その詩や音楽に共感できること」で歌っていこうなどと
かっこいいことは書いていたものの、その明確な解答はつかめないまま、厳しい自然や荘厳な音楽に囲まれて、
有意義だが何となくむなしい多くの時間が過ぎようとしていた。
そんな中、アメリカ人のシュタヴスキー先生の声楽レッスンが、私に大きな転機をもたらした。
ドイツにいてアメリカ人の先生からドイツ歌曲?と不思議に思われるかもしれないが、先生は特別で、
私がどう歌っているのか「気づかせ」また問題解決の方法をはっきりと示して下さったので、
お互いが何人(なにじん)であるかなど全く気にならなかった。
つまり
「ドイツ歌曲はこう」
「イタリア・ベルカントのこのアリアはこう歌わなければ」
「この音の時には上あごはこのくらい開けて」
という指導ではなく、科学的かつ自然派、しかも教授法は生徒に問いかけ、「気づかせ」、
解決能力を高めてくれるようなレッスンだった。何かに、誰かに近づくために強制的に学び、
まねをするのではなく、自分の内側・身体の感覚・感性でそれを感じ捉えることができるように
「助けて」下さったので、自分の声がどんな特徴を持っているのか段々わかるようになっていった。
それどころか、それまでわかっていなかったということに気づいた、というのが正しいかもしれない。
先生は教えることは「助けること」「一緒に学ぶこと」だとおっしゃった。
私はそれにとても共感を覚えた。広大では随分のびのびとしかも好きなことが自由に学べたし先生方にも恵まれたが、
教えることが単なる押し付けだったり、先生の癖がうつるだけだと思われるような実技レッスンが、一般的には多いように思われる。
さて、シュタヴスキー先生のレッスンだが、その背景に「アレクサンダー・テクニーク」の概念があることを知ったのは、
先生のレッスンを受け初めて半年くらい経ってからのことだ。そして日本では、時は昭和から平成に変わった。
2000年にバーバラ・コナブル著「音楽家なら誰でも知っておきたい『からだ』のこと」(誠真書房)の日本語訳が出版された時、
以前バーバラ先生に一度会ったことがあることを思い出した私は、すぐに先生にメールをして
(なんという時代になったものだ、こんなことが可能なのだ)、その本をテキストに音楽家に身体の機能や動きの情報を提供する、
アンドーヴァー・エジュケーターになりたい希望を熱心に書いた。
なぜなら、これこそ私が長年探していた理論と実技の間をつなぐ何かだと直感したからだ。
ヨーロッパでむなしかった私の時間を埋めてくれるものに違いないと。
バーバラ先生は世界的に有名な「アレクサンダー・テクニーク」
(ボディ・ワークの一つで欧米では音楽家・俳優の間で人気があり、大学にも授業として入っている)の教師で、
特に多くの音楽家の活動を助けてきた。そしてその多くの経験から、ボディ・マップなるものを発見・発展させ、今アメリカで話題を呼んでいる。
ボディ・マップは、自分の頭の中に「自分がどのように描かれているか」という「自分のからだの地図」のことだ。
この「ボディ・マップ」が正確ならば、動きがうまくいき、つまり演奏がうまくできる。
逆にボディ・マップが不正確だと効率よく動けないばかりでなく、からだに痛みを伴ったり、怪我をする。
つまり、うまく演奏できない。逆に言うと、ボディ・マップを正しく使えば、自分をうまくコントロールして、豊かに演奏できる。
なんでもないことに思えるかもしれないが、ボディ・マップが変わると劇的に演奏が、音が、声が変わる。
皆、自分の身体や可能性を知らないで、やみくもに練習しているのだ。そして苦しんでいる。
ボディ・マップは音楽家や音楽教師に、多くの新たな可能性を科学的にもたらす最良の道具となるだろう。
テロの時、私はアメリカでこのボディ・マップを学習し、アンドーヴァー・エジュケーターの資格を日本人声楽家として初めて取得した。
そして今年(2003年)6月,その第1回国際会議にアメリカに出かけようとしている。
(その前にオランダに行き、5月にはオランダ人の伴奏者で倉敷と新居浜でリサイタルを開く。
尚音会の後援、ありがとうございました。)
平和を願いつつ、しかしアメリカでは何となく身に緊迫感を感じつつも、すぐ周りには知的で親切な音楽家や
音楽教師(そのほとんどがアメリカの大学の教授たちだ)に囲まれて、私は今まで感じたことのない内面の充実を体験している。
そしてこれらを元に、私の実験と学びは続くだろう。この方向で自分の音楽、歌い方を追求し、
「助けて」「一緒に学んで」教えていくだろう。
そして、この自分の姿勢をふと遠くから眺める時、その全ての基礎があった広大教音時代を懐かしく思い出すのだ。